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ガラスのジェネレーション

ガラスのジェネレーション
さよならレボリューション
つまらない大人にはなりたくない
so one more kiss to me

ご存知、佐野元春初期の代表作『ガラスのジェネレーション』の一節。元春は敢えてこの曲に「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズを入れ、1980年代を迎えたばかりのティーネイジャーたちはこのフレーズにこぞって熱狂した。僕もリアルタイムではなかったが、初めてこの曲を聴いた時はかなりのインパクトを受けた記憶がある。この「若者の気持ちを代弁する」手法のソングライティングのヒットで、エピックソニーも随分と気をよくしたに違いない。

しかし元春は「つまらない大人にはなりたくない」というフレーズに、いつしか縛られるようになってしまった。世の中や大人に対して唾を吐くイメージが先行してしまったのだ。もちろん大多数のファンはそうした過剰なイメージに惑わされること無く、元春の曲が持つシニカルなメッセージやユーモア、ストーリーテリングに心動かされていたのだが、しかし一般的な社会の反応は、佐野元春を「社会に反旗を翻すだけの愚かな若造」と捉えていたのだ。

確かにこの曲の歌詞だけを見れば、世の大人にそう解釈されても仕方のないように思える。しかし、これは音楽なのだ。メロディーに乗せてこの歌詞を口ずさんでみれば、この曲のサビにはどこか悲しげな響きが漂うことに気付く。そう、この歌は、「つまらない大人にはなりたくない」と叫び、嘆く一方で、「でも僕たちは大人になっていくんだよ」と半ば自覚し、そんな自分を客観的に見つめている歌なのだ。ゆえに最後の「so one more kiss to me」のフレーズが余計に悲しみを誘う。この歌が名曲中の名曲たる所以だ。

実は最初に聞いた時、この曲の持つ悲しい響きが僕には理解できず、それが解ったのは十九、二十歳の頃だったのだが、それからは余計に、佐野元春という男が創り出す曲の魅力にとりつかれてしまった。『サムデイ』の悲しい響きを感じ取ることができたのもこの頃だ。それまで世の中の表面的な響きにばかり囚われていた僕は、何だかカルチャーショックを受けた気がして、世界が一気に広がったのだった。
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by BlueInTheFace | 2005-02-26 21:56 | 音楽

インフルがインフレ

ここ1、2年、風邪とは無縁の生活を送っていた僕だが、23日(水)の晩から体調がすぐれず、24日(木)の朝起きたら、妙に寒気がして、体の節々が痛く、咳はとまらず、頭もくらくらするではないか!

実は数日前から咳がとまらず、会社でもゴホゴホやっていて、それが会社の同僚T君からうつされたインフルではないかと疑っていたのだ。あぁ、ついに僕もインフルにかかってしまった・・・と思い、やむなく会社を休んでしまった。

昨日一日、死んだように爆睡し、今日の朝起きてもまだ体調がすぐれなかったので、会社に休む旨を伝え、朝から病院に行って来た。本当は昨日病院に行こうと思っていたのだが、近くの病院に電話してもいっこうに繋がらず、そのうち面倒くさくなって寝てしまったのだった。

さて病院では、診察前に体温計で熱を計ったのだが、結果は37度。おや、思ったより低いな・・・。と、ここで登場した内科の先生は、俳優の生瀬勝久似の強面。聴診器を僕の胸に当て、渋い低音でいくつかの質問をした後、出した答えは「ただの風邪でしょう」。

僕は、なんだかガッカリした気分になった。なんだ、ただの風かい。そう思うと、急に体の調子も良くなってきたように思えて、その後グッスリ寝て20時頃起きたときには、体も随分と楽になっていたのだった。で、今こうしてブログに向かって記事を書いているというわけだ。

それにしても、これで2日間会社を休んでしまったわけで、あの計画に狂いが出てくるのは必至だ。自分の体調管理ができていなかったので仕方ないのだが。

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温泉へ行こう5~最終回~

ネタバレあり(バレたところで誰にも迷惑はかからないだろうが)。ていうか観てない人には分からない。

先週の金曜日、2月18日をもって『温泉へ行こう5』全55回の放送が終了した。寂しい。パート5まできて、仲居さん達によるお約束のコント風ドタバタ劇はもう予定調和となっていたが、僕はそれが楽しかったので、見られなくなってとても残念だ。

最終回では、アメリカの大学に留学する恭一郎についていく決心をした薫が、二人で御宿「如月」を後にする。凛とした笑顔でお見送りする絹香。武藤(田中実)と薫(加藤貴子)、恭一郎(大沢樹生)と絹香(板谷由夏)もついにさよならか!しかしタクシーに乗って走りだした薫と恭一郎を、バイクに乗った絹香が追いかけてキター(・∀・)

タクシーを降りた二人。見つめ合う恭一郎と絹香。薫は恭一郎に、「行って」と促す・・・未練などない、清々しい顔をして。恭一郎は絹香の元へ走りだし、ガッシリと抱擁した。(ヤッパリね)

そしてひとり、宛てもなく歩く薫はいつしか河原に辿り着いた。そこは、かつて武藤と薫が再出発を誓い合った橋がある場所だったのだ。

突然「薫~っ!」と叫び声が聞こえてきて、薫はビックリした。橋の上でひとり、空に向かって叫んでいたのは、武藤。太陽の光が川面に反射して、武藤を照らしている。「薫ぅーっ!薫ぅーっ!薫ぅーっ!!」武藤渾身の、魂の絶叫である。そう、テレビの前の奥さん方もこれを待っていたのだ(・∀・)!

エピローグ

武藤と薫は、バツが悪そうに「如月」に帰って来た。喜ぶ仲居たち。また仲間たちみんな一緒だ!絹香は女将を続け、恭一郎はアメリカから帰って「如月」の下足番になった(マジカヨ)。恭一郎と絹香の間には子供が授けられ、絹香が産休の間、薫が女将をやる事に。そして締めのあいさつはもちろんこれ。「女将の、薫でございます。またのお越しを、お待ち申し上げます!」

・・・THE END


これでもかと言うくらい、畳み掛けるように全キャストがハッピーエンドへまっしぐら。完璧だ。これを待っていた。特に武藤が薫の名を叫ぶシーンは、不覚にもジーンときてしまう僕がいた。そして叫んだ後薫に気付くシーンでのわざとらしい演技に、「温泉へ行こう」の真骨頂を見た。なんだか、パート6もありそうな気配だ。楽しみに待つとしよう。

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by BlueInTheFace | 2005-02-24 01:25 | 映画・TVなど

「THE SUN ツアー」最終日の夜

2005年2月20日、佐野元春& THE HOBO KING BANDの「THE SUN ツアー」もいよいよこの日が最終日。僕自身、ツアーのライブを見にいくのは久々で、いやがおうにも期待が高まる。

元春のライブにいく前には、いつも少しだけ心配してしまう事がある。元春と僕たちオーディエンスが、ライブを通じてロックを共有するのには、少しばかり年をとりすぎてしまったのではないか、という危惧。それは例えば、学芸会でお遊戯を発表する我が子を応援しながらも、心配でしょうがない親の心境に近い。TVの音楽番組でトークしている元春を見ると、元春よりも僕の方が緊張して、なぜか汗だくになってしまったり・・・。それだけ僕にとって元春は身近な存在だという事だ。

開場して間もない17時半頃にNHKホールに着く。今回の僕の席は、3階の一番後ろ。しかし中途半端な席に座るよりは、後ろの方が断然いい。会場の盛り上がりと一体感を視覚的にも楽しむことができるから。その意味で、僕としては2階or3階の一番前、ここが最高のポジションだと思う。

18:00いよいよライブ開始。CMでもお馴染みの白いスーツで元春登場。今回のライブは2部構成になっていて、第1部では過去のレパートリーから、休憩を挟んだ第2部では「THE SUN」アルバムからの楽曲で構成されていた。休憩を挟むのは、長時間のスタンディングになる事への、もうそれほど若くはないファンへの配慮か。若さと勢いだけがロックではないとする元春自身も、ときおり椅子に座って歌う。各自好きなように楽しんでいって欲しい、と願う元春は、決して盛り上がりを強制したりはしない。

オープニングアクトの「バック・トゥー・ザ・ストリート」から始まり、第一部は終始クールな演奏に務めていた感のあるHOBO KING BAND。元春のヴォーカルも、必要以上にテンションを上げていない。僕は、ゆったりと体を揺らしながらライブに参加した。まだ、僕らも元春もこの日のライブ対しては手探り状態だ。徐々に、徐々に、テンションを高めていけばいい。

さぁ本番の盛り上がりは、やはり第2部に用意してあった。特に「君の魂、大事な魂」のあたりから、会場は大いに盛り上がる。元春が僕らを、そして僕らが元春をお互いにノセていくという相乗効果。座って参加していた客たちも、いつの間にか全員総立ち。きた・・・きた!いつも絶対こうなるんだ。クールに参加していた客も、クールに演っていた元春も、結局最後は熱くなる。自然とそうなるんだ。

そして最後の楽曲、「太陽」へ。「GOD 夢を見る力をもっと」と祈るように叫ぶ元春。観客は・・・そう、その時会場にいた全員が、まるで打ちひしがれたように、微動だにしないで聞き入っていたんだ。僕は元春から眼が離せなかった。目を閉じれば、涙が出そうになるから。演奏が終わると、感動に包まれた観客から割れんばかりの拍手が。それはいつまでも鳴り止まない。一日半たって冷静になった今、思い出しながらこれを書いていても熱いものが込み上げてくる。素晴らしい、素晴らしい夜だった。

ライブが終わり、人並みに呑まれながら会場を後に。そこかしこで、「あぁ、今日来てホントに良かった・・・!」という声が聞こえてくる。元春のライブ後にはいつも耳にする言葉だが、やはり今日も聞こえてきた。元春さん、あんた幸せ者だね!僕からもお礼をいうよ。最高の夜をありがとう。

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by BlueInTheFace | 2005-02-22 11:07 | 音楽

バルサ、草サッカー、そしてスブラキ

本日は久々の草サッカー。午後2時に河川敷集合だったので、比較的のんびりした午前中を過ごす事ができ、モーニングコーヒーを飲みながら、録画したバルサ対マジョルカの試合を見た。

バルサ2-0マジョルカ

特筆する内容の試合ではなく、いつものようなレポートを作成するのはやめにした。嘉人は途中出場だったが、ボールがまわって来ず、惜しいシーンはあったものの大した仕事は出来なかった。しょうがない、嘉人のせいではない。チーム力が全然違うんだから。

ロナウジーニョのことで一つだけ気になったプレーがあったので記しておく。彼がペナルティ・エリアのちょっと外の、ゴールラインギリギリでボールをキープしていた時のこと。近くにいた見方にバックパスを出したのだが、その時彼はゴールラインの外、つまりピッチの外に顔を向けながらノールックパスを出した。おいおい、そっちには敵も味方もいねぇよ・・・と、マジョルカのDFは思ったに違いない。

さて本日の草サッカー、実は1時間しか参加しなかった。というのも、この後18時から渋谷NHKホールにて、佐野元春のライブへ行く予定があったから。1時間ということで、練習はパスとトラップの基礎練習のみ。ただ久々にボールを蹴ったためか、基礎練習だけでもけっこう運動した気分になった。

その後、奥さんに車で迎えに来てもらって、いざ渋谷へ。渋谷へ車で行くのは久々なのだが、渋谷へ車で行くときには必ず立ち寄るところがある。それは、スブラキというギリシャ料理が食べられるところ。明治通りを渋谷から原宿に向かい、宮益公園を過ぎたすぐの路上で、キャンピング・カーを停車して売っているのだ。

b0011238_0395455.jpg臭いのきつくないラム肉と香辛料を混ぜて練り、棒に巻きつけて回しながら焼き、焼けた部分をナイフで削ぎ落として、キャベツと一緒にソースにかけて食す。ソースはマイルド(マヨネーズのみ)、チリ(辛くないオリジナルソース)、スパイシー(辛い)の3種類。さらにマイルドとチリ、スパイシーをミックスしたチリマイスパマイがある。僕のお気に入りはスパマイ。ラム肉が苦手な人にも、スブラキならお勧めできる。実際、ラム肉が苦手な奥さんでもおいしいと言ってくれるのだ。

b0011238_0532379.jpg10年以上前の専門学校生だった頃、僕は友達と、放課後よくこれを食べに代々木から歩いて来たものだった。当時から変わらぬおいしさ。今もこれを食べるたびに、当時の事をなつかしく思い出す。せっかく歩いてきても、いつもの場所にバンが停まってないことがわかると、皆ガッカリして特にあてもなく歩いたなぁ。まぁそれでも楽しかったからよかったんだけど・・・。

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by BlueInTheFace | 2005-02-21 01:05

バーレーン戦が見たい

サッカーW杯アジア地区最終予選、日本対バーレーン戦のチケットの予約が、50万枚を超える勢いだそうだ。(バーレーン戦応募50万枚超えも

当然日本でやる試合なので、北朝鮮戦と同様、ゴールデンタイムに試合が行われるに決まってるのだが、3月30日のその日、僕は午後出勤で、定時が21:30なのだ。(血涙)

会社には、テレビはおろかラジオさえ無い(!)。これじゃ、気になって仕事どころじゃない。

だが今、バーレーン戦をリアルタイムで見る為の秘策を思いついた。その日、インフルエンザにかかって会社を休めばいいのだ!

いや、当日いきなりインフルエンザにかかったら、さすがに怪しまれるだろうから、1、2日前から休んでおくのが得策だろう。

この作戦を敢行するためには、ひとつクリアしなければならない課題がある。それは、もし3月30日以前の早い段階でインフルエンザにかかってしまったとしても、会社を休めないという事だ。「お前は、インフルエンザに2回かかるのか」と言われると、返す言葉もない。

今、僕の中の良心が、こう叫んでいる。「仮病を使ってまでサッカーを見たいだなんて、社会人としてそれでいいのか?」と・・・。葛藤は3月30日まで続きそうだ。

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嘆きの壁

前回の続き・・・パレスティナにおけるユダヤ人、アラブ人の物語

※この話は、ネルーが一九三三年に書いたものであり、まだイギリス帝国主義が世界を支配していた時代である。ネルーの住むインドは、すでにイギリスの植民地となっており、このころの彼はイギリスを相手に独立闘争を繰り広げていた。なお、イギリスが国際連盟から委任統治権を与えられていたこの時代のパレスティナも、事実上イギリスの植民地であった。

 十九世紀のおわりにかけて、シオニズム運動はしだいに帰住運動のかたちをとりはじめ、たくさんのユダヤ人が、安住する為にパレスティナに移り、同時にヘブライ語が復興された。

 (第一次)世界大戦中、イギリス軍はパレスティナに侵入し、一九一七年十一月、エルサレムを目指して進軍中に、「バルフォア宣言」と称されるものを発表した。この声明によれば、かれらの意図はパレスティナにユダヤ人の“民族的安住地”を建設することにあった。この宣言は国際的なユダヤ人民の好意を勝ち得ようとして発せられたもので、財政的な見地から重要なものであった。

 これはユダヤ人からは歓迎された。けれどもそれにはひとつ弱点があり、副次的な事実が見逃されていた。パレスティナは未開地、あるいは無人の空地ではなかった。すでにここを家郷とする人たちが、ほかにあった。だから、このイギリス政府の気前のよいゼスチュアは、事実上すでにパレスティナに住んでいた人々を犠牲にするものであった。それでこれらの人たちは、アラブ人も、非アラブ人も、イスラム教徒も、キリスト教徒も、じつにユダヤ人ではないすべての人たちが、いっせいにこの宣言に抗議した。

 これは本質的に、ひとつの経済問題であった。これらの人たちはユダヤ人があらゆる方面でかれらと競争し、背後に巨万の富を擁して国の経済的主人の地位につくだろうと予感した。かれらは、ユダヤ人がかれらの生活の手段をうばい、農民からは土地をとりあげてしまうことを心配した。

このとき以来パレスティナの問題は、アラブ人対ユダヤ人のあらそいの物語となり、そのあいだで、イギリス政府は場合によって双方いずれかの要求を支持したが、だいたいにおいてユダヤ人の味方をした。そしてパレスティナは自治政府もない、イギリスの一植民地としてあつかわれた。

 キリスト教徒や、そのほかの非ユダヤ人に支持されるアラブ人は、民族自決と完全独立を要求した。かれらは委任統治と、またそれ以上の人口を容れる余地がないという理由から、移民に強く反対した。ユダヤ人移民が流れこんでくるにつれて、かれらの不安と憂慮とはたかまった。かれら(アラブ人)はこう声明した。「シオニズムはイギリス帝国主義の共犯である。シオニズムの責任ある指導者たちがたえず主張しているのは、強力な“ユダヤ民族安住地”をもつことが、まさにアラブ人の民族的要望をおさえこみ、それがイギリスのインドへのルートの防衛にいかに利するか、ということである」。

(中略)

一九二九年八月には、アラブ人対ユダヤ人の騒擾[そうじょう]があった。その真の原因は、ユダヤ人の富力と数の増大にたいするアラブ人の不満と恐怖、およびアラブ人の独立要求にたいするユダヤ人の反対にもとづくものだった。しかし直接の原因になったのは、いわゆる「嘆きの壁」をめぐる係争であった。これはむかしのヘロデ王の寺院をとりまく寺壁の一部をなし、したがってこれをユダヤ人は、かつてかれらが偉大な民族だった当時の記念物として尊重し、神聖視していたものであった。その後おなじところにモスク[イスラム教の礼拝堂]が建立されて、この寺院もその境内の一部になった。ユダヤ人はこの壁の近くでお祈りをあげるが、ことにここでかれらの「悲嘆」を大声でうったえることになっている。そういうわけで、「嘆きの壁」という名前が生まれた。イスラム教徒は、かれらの由緒ある寺院のひとつの近くで、このような儀式をあげることに反対した。
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by BlueInTheFace | 2005-02-19 01:56 | 読書

シオン

ユダヤ人とは、いったいどんな人種のことをいうのか、僕は今まで全く知らなかったし、知る由も無かった。今読んでいる本(もう2年以上読み続けている)に、ユダヤ人の歴史ついての記述があり、とても参考になったので、今日ここに紹介したいと思う。


『父が子に語る世界歴史』(全8巻) ジャワーハルラール・ネルー著* 1934年
♯167「パレスティナとトランス=ヨルダン」 より

*ネルーは1947年、インド独立後の初代首相兼外相になった人で、亡くなるまでの16年間首相を続けた。この本は、インドがイギリスの植民地だった時代、独立運動を掲げた罪で牢獄入りしたネルーが、最愛の娘に向けた世界歴史についての手紙を何篇も綴り、後に本にして発表したもの。


ユダヤ人はおどろくべき民族だ。もとは、かれらはパレスティナの小部族であり(それも数個に分かれた部族であったというほうがあたっている)、かれらの発端の物語は、旧約聖書にしるされている。一種の思い上がりで、かれらは世界の選民(世界をみちびく使命をもつ、えらばれた民族)だと自任している。けれどもこの種のうぬぼれは、たいていの民族がもっていて、いい気になっているものだ。

ユダヤ人はくりかえし征服され、抑圧され、奴隷化された。欽定訳聖書にのっている、このユダヤ人をうたった詩や、かなしみの歌は、英語で書かれたものとして、もっとも美しく、感動をさそう詩歌に入るものだ。ヘプライ語の原典で読んでも、やはりおなじように美しいか、あるいは、もっとよいものだろうと思う。ここでは「詩篇」の一編のなかから、ほんの数行を引いて、おまえにみせておくことにしよう。

バビロン川のほとり、
そこで、私たちはすわり、
シオンを思い出して泣いた。
その柳の木々に
私たちは立琴を掛けた。
それは、私たちを捕らえ移した者たちが、
そこで、私たちに歌を求め、
私たちを苦しめる者たちが、
興を求めて、
「シオンの歌を一つ歌え」と言ったからだ。

私たちがどうして、
異国の地にあって主の歌を歌えようか。
エルサレムよ。
もしも、私がおまえを忘れたら、
私の右手がその巧みさを忘れるように。

もしも、私がおまえを思い出さず、
私がエルサレムを
最上の喜びにもまさって讃えないなら、
私の舌が上あごについてしまうように。
[詩篇137(新改訳)]

これらのユダヤ人たちは、ついには世界に分散してしまった。かれらは家も、国もなく、行く先々で、招かれざる、望ましからざる異邦人として遇せられた。都会では、かれらは他人の迷惑にならないようにというので、ほかの人々と区別して住まわされ、この種のユダヤ人居住区は、「ゲットー」とよばれたものだった。ときには、特別の服を着用させられた事もあった。かれらは侮辱され、いじめられ、虐殺され・・・ジュー(ユダヤ人)という言葉そのものが侮辱のことばとなり、守銭奴や、強欲な高利貸の代名詞となったほどであった。

しかも驚いたことにこの民族は、それらをすべて耐え忍んだばかりでなく、よくその人種的・文化的性格を維持し、繁栄をたもち、たくさんのすぐれた人たちを生みだした。こんにちでは、かれらは科学者、政治家、文学者、金融業者、実業家として指導的な地位にあり、もっとも偉大な社会主義者、共産主義者までもが、やはり多くユダヤ人であった。

かれらの大多数は、もちろん裕福からほど遠い。かれらは東ヨーロッパのいくつもの都会にあつまって居住し、折り折りポグロム、つまり虐殺に見舞われる。故郷をもたないこの民族、ことにかれらのなかの貧しい人たちは、かれらの想念のなかに、かつてそれが実際にあったよりもはるかに偉大で荘厳なおもかげを求める、古代エルサレムの夢を捨てたことはなかった。かれらはエルサレムを、一種の約束された(将来かれらの手に返る)土地として、シオンと呼び、シオニズムといえば、かれらをエルサレムとパレスティナにひきつける、この過去からの呼び声のことをいう。
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by BlueInTheFace | 2005-02-17 11:42 | 読書

深夜の地震

・関東で強い地震…都内で震度4、茨城南部で震度5弱

外は雨の音がするな・・・などと思いながら、僕はベッドの中で強い揺れを感じていた。揺れが収まった時には、僕の心臓が少しドキドキしているのが分かった。地震には敏感なほうだが、もう大丈夫だろうと安心したら、すぐ間もなく眠りについた。ニュースによると、地震が起きたのは16日の午前4時46分頃・・・そうか、もう明け方だったのか。

地震の最中は、比較的冷静でいられた。いや、冷静でいようとする自分がいた。天井の照明のヒモが揺れるのを見ながら、「これは震度4くらいだな」とか「今週夜勤のS君はひとりで大丈夫かな」とか「今夜は寒いな」とか思ったりしてた。むしろ震度2くらいの微震のほうが、これからデカイ地震が来るんじゃないかとビクビクしてしまうのは僕だけだろうか。

しかし奥さんはそんなに冷静ではいられなかったようだ。僕は地震の揺れよりも先に、奥さんの「ギャーーッ!!」という悲鳴で起こされた。彼女は布団の中にスッポリともぐりこみ「怖いよーっ」と絶叫していた。フフフ、この程度の地震でこんなに怖がるとは、おまえも意外と気が小さいのぅ・・・などと微笑ましく彼女をみていたのだが、地震が収まると、彼女は僕よりも早く眠りについていた。気が小さいのは・・・僕の方だったか?

※ここ数日晴天が続き、気分よく早朝のマラソンに出かけていたが、今日は雨がしとしと・・・久しぶりに体を休めています。相変わらず仕事は忙しいけれど・・・。

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Peppermint Candy

b0011238_0113634.jpgペパーミント・キャンディー
1999年制作、韓国(NHKとの合同制作)
監督:イ・チャンドン
主演:ソル・ギョング


物語は、主人公のキム・ヨンホ(ソル・ギョング)が列車に投身自殺を図るところから始まる。彼は何故自殺を図ったのか。何故それほどまで絶望に打ちひしがれたのか。死の直前から時間を逆行し、彼の半生を辿っていく物語。3日前の出来事、5年前、12年前、15年前、20年前へと。

とにかく重い映画だった。観終わった後も、ずっしりと心に残る。冒頭で既に悲しい結末がわかってしまっているので、ラストの美しいシーンでは、途方もない切なさが見るものを襲う。ちなみにペパーミント・キャンディーは、主人公キム・ヨンホの現在と過去をつなぐ、最も重要なアイテムとして登場している。

僕はこの映画を何の予備知識もなく観たので、後にこの映画が、韓国の現代史と深くリンクしているという事を知って、韓国社会の「華やかではない」部分に翻弄された(言い換えれば「時代」に翻弄された)、主人公の悲しい人生をもう一度追ってみたくなった。

いまだ軍事独裁政権の名残が感じられた1980年、民主化を求める市民や学生と軍が衝突し、多数の死者を出した光州事件が勃発。その後韓国は民主化、高度経済成長を遂げる事になり、この時代を生きた若者は、華やかな未来を信じ希望に胸を躍らせた。この映画の主人公キム・ヨンホも、そんな時代を生きた男の一人である。

しかし僕はそんな時代背景の予備知識がなくても、充分に映画を堪能することができた。それはこの映画が、根本的には「恋愛」映画であり、一個の「人間」を描いた作品に他ならないからである。

b0011238_1221332.jpgこの一個の人間の半生を演じてくれた、俳優ソル・ギョングの素晴らしい演技力が無ければ、この映画の魅力を語れない。彼の演技を見るだけでも、この映画を観る価値はあると思う。

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by BlueInTheFace | 2005-02-15 01:38 | 映画・TVなど