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映画『壬生義士伝』を見て

昨日の夜、BSで映画『壬生義士伝』を放送していたのを見た。中井貴一がとてもいい味を出していて、僕が原作を読んで感じた、主人公吉村貫一郎のイメージ、まさにそのままであった(斉藤一を演じた佐藤浩市も良かったが、あまりにも格好良すぎるw)。原作の濃い内容を、137分のストーリーに上手くまとめてあり、それでいて泣きのポイントはしっかり押さえてある。僕は号泣に次ぐ号泣。ユーザーレビュー等で、映画に対する様々な感想を拝見したが、誰もが高く評価している、ドラマ版の『壬生義士伝』の方も早く見てみたいと思った。

ところでそのユーザーレビューを読んでいて、この作品に対するネガティブな意見を目にするたびに、僕は少し違和感を覚えるのだった。僕が読んだレビューのうち、ネガティブな意見の代表的なものは、大雑把にまとめれば、「くどい」と「ストーリーが矛盾している」の2点に集約されているように思う。

死に際の長台詞が「くどい」という点に関しては僕も認めよう。というか原作からして既にくどいのであるから、僕にしてみれば、映画の方はむしろ「あっさり」だったなとすら思った。本当は死にたくないという貫一郎の想いをもっと前面に押し出すなら、映画の方も、もっとくどくても良いとさえ思った。

「ストーリーが矛盾している」とは次のような事である。義の為に戦った貫一郎が、最後はなぜ大野次郎右衛門のところに命乞いをしに行ったのか。あれだけの不利な戦で、なぜ貫一郎は生きていられたのか。そもそも貫一郎は、人一倍死にたくないはずの男なのに、そして金の為にわざわざ脱藩までしたのに、なぜ“義”の為に最後の突撃を選んだのか。こういう所にストーリーの矛盾を感じ、映画に没入し切れなかった、という感想は結構多かった。

確かに、貫一郎が官軍に突撃して生きていられたのは、不思議といえば不思議だ。しかし、僕らの住む現実世界は何だって起こりえる、という観点に立てば、貫一郎が生きているのだってまたあり得る話ではないか。ストーリーにリアリティを求める人は、そういう所がとことん気になるんだろうけど、僕はそういう“出来事”を気にして映画を見た事は一度もない。そもそも、映画に求めるリアリティって、一体なんなのだろう。

僕は、生と金に執着し続けた貫一郎が“義”の為に官軍に突入するシーンや、それでも死にきれずに命乞いをしてしまうシーンに、一人の人間としてのリアリティを感じる。小説にしろ映画にしろ、この物語は、ストーリーよりも人間のリアリティを描き切る事に重点が置かれていると思う。そして人間とは、まさに矛盾だらけの生き物で、だから僕たちは、その矛盾自体に感動を引き起こされる。誰にも説明のつかない、えもいわれぬ何かに突き動かされて官軍に突入する、貫一郎の姿に涙するのだ。

まぁ映画の楽しみ方は人それぞれだと思うけれど、僕の個人的な考えとして、「ストーリーの矛盾に拘って映画を見るのはあまり好きではない」という趣旨の文章をいつか書きたいと思っていたので、『壬生義士伝』のレビューはとてもいいきっかけとなった。さて、日曜日のフットサルと月曜日の壬生義士伝で、体中の水分は出し尽くしたので(笑)、今日からまた職場の方のリアリティに戻ろうかと思います(くそ忙しいんだよね、これがw)。


by BlueInTheFace | 2007-04-10 11:06 | 映画・TVなど