「象徴としての天皇」についての長考

11/17 記事の内容に若干の加筆・修正を施しました。

昨日の午前中に、テレビで紀宮様の結婚記念特集番組を放送しているのを少しだけ見た。幼き日の紀宮様の愛くるしい様子に始まる、これまでの成長の軌跡が映し出されていた。色褪せた映像。レトロな昭和の時代を感じさせる女性ナレーターの声。幼き日の紀宮様の立ち振る舞いには、サラブレッドである事を強く感じさせる気品、オーラのようなものが強く発散されていて、それを見ただけで、僕たち一般人とは違う世界を生きている人なんだなと感じずにはいられない。

皇室の事について少しでも突っ込んで語ろうとする時、そこに横たわっている日本の伝統、歴史問題、憲法、ナショナリズム、といった話題を避けて通ることは難しい。そしてそのいずれもが、何をもって正しい答えとするのかあやふやなまま、今も“戦後”は続いている。

思えば、小学校の授業で「天皇は日本の象徴」だと習ったとき、僕にはその意味がさっぱり理解できなかった。おそらく今でも殆んどの子どもがそう思っているのではないか。分かりにくいことこの上ない。外国人が“日本”というものを外から眺めた時も、同じように疑問に思っているのだろう。ただ、これからも象徴としての天皇の制度を存続させるとするならば、そこには以下のような意義を見出す事が可能なのではないかと僕は思う。日本という国が1945年8月15日の終戦記念日を境に「新たに生まれ変わった」という錯覚を、僕らが抱きそうになるのを戒めてくれる意味に於いて、象徴としての天皇の存在には意義がありそうだと思えるのである。


終戦によって、暗黒の戦争時代からやっと解放された日本人一般市民は、アメリカ人の手によって作られた新しい憲法の旗の下、どん底からの再生に向けて新たなスタートを切ったかに見えた。しかし政治であれ経済であれ一般市民の生活であれ、それは新たなスタートという事では決してなく、あくまで戦前からの歴史の積み重ねの延長線上なのだ。

例えば、戦後は軍を解体し(結局アメリカの意向により自衛隊として軍は残った)、経済立国を目指す政策を選択した日本だが、その経済をリードしたのは、戦前から名を馳せていた財閥に他ならなかった。年功序列という給与形態は、戦前から続いた経営者対労働者の闘争の結果生み出された「和解案」のようなものだった。日本が高度経済成長の波に乗れたのは、朝鮮戦争やベトナム戦争の特需による影響が大きいが、その土台となったのは、戦争中に国の指令によって育まれた重工業の資産の蓄積だった。「一億総中流時代」というキャッチコピーの元、ものに溢れ豊かな生活を送るようになった日本人だが、元より下層に暮らしていた人々の暮らしは一向に上昇せず、また偏見・差別の類は形を変えて人々の意識の中に残った。

終戦を期に、それまでが嘘だったかのように劇的な変化を遂げた日本だが、実は戦前からの経験、財産、反省に基づき、試行錯誤(残念ながら国としての中・長期的ヴィジョンを伴っていなかったが)を繰り返した結果今の日本があるという事を、僕たち現代日本人がしっかりと認識する事は、案外重要なのではないだろうか。言うまでもなく、数多くの負の財産もしっかりと受け継がれている。より良い未来を築こうと願う僕たちが、その「歴史の連続性」に思いを馳せるとき、古代から続く皇室の存在は、その象徴になり得るのだと思う。

ところで余談になるが、皇室関連のテレビを見ていていつも違和感を覚えることがある。愛子様のような幼児にまでなぜ「さま」を付けて呼ぶのだろか、と。せめて15歳くらいまでは「愛子ちゃん」でもいいのではないか。絶対にそのほうが親しみやすくていいと思う。皇室の人間をこういう仰々しい呼称で呼ぶことは、僕には何だか時代錯誤のように見えなくもないが、これも歴史の連続性が成せる業なのだろう・・・。

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