タバコを想う

もう禁煙するなんて、大見栄きっても無駄な事がわかってきたので、これからは目標を節煙にきりかえる。僕はホントに意思が弱いので。

「一日一本」のタバコ、もうそれだけの為に一日頑張っているような錯覚に陥る。節煙に慣れてきたのか、日中さほどイライラする事は無くなった。我慢した後の至福の時を知った今では、惰性で吸ってしまうのが勿体ないとすら思える。

高校生の頃は、バイト先でタバコを吸う大人になんとなく憧れた。あの頃の僕は「タバコ=大人」という、錯覚したキャッチコピーを信じていた。放課後のある晴れた日、友達に河原で一本勧められた時、意外と抵抗なくタバコを口にする自分がいた。(もちろん体はうけつけなかったが。)

あれからタバコは僕にとって、ある意味「ブランド」となり、また「コミュニケーション・ツール」にもなり得た。若かった僕にとって、僕と社会(人)との心の距離を量る為の道具。

そういった意味で、現在の僕がタバコを必要としているかどうか、自分では判断がつかない。そもそも「大人になる」事の意味を、僕はまだ理解していないと思うから。

「まっとうな」人生(ってどんな人生?)を送ろうと、心に決めることがもしあれば、その時はタバコを止めよう。今は、無理して止める事も無いかなと思う。ただ、サッカーを続けていこうと思ってるので、これからも節煙には努めたい。


ところで、(特にアメリカを中心とした)欧米先進諸国の「禁煙ブーム」には、やや疑問を感じる。タバコの広告費が大きなウェイトを占めるモータースポーツの世界では、最近アジアのツアーが増えてきているとか。それを聞いて思い出したのは、アヘン貿易を中国に押し付けようとした、かつてのイギリスの話。同じ土俵にのせる話ではないかもしれないけど、なんとなく気になったので・・・。

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